労災保険の給付は会社の損害賠償責任に備えるための保険ですので,労災保険として受け取った金額は損害賠償から差し引かれてしまい,労災保険と損害賠償とを2重に受け取ることはできません。
しかし,傷病手当金は業務外であることを前提に支給を受けるものです。労災の場合は労災から休業補償を貰うべきであり、労災であることが当初から明らかな工事現場での事故のような場合は傷病手当金は受け付けてもらえません。
しかし、精神疾患の労災の場合は、労災なのかそれとも労災ではない傷病手当金の対象となる労災以外の病気(私病といいます。)なのかは一見明白ではありません。特に、個々人の組合員の働きぶりを常日頃から監視する立場にあるわけではない健康保険組合にとっては、労災か否かは明らかとは言えません。そのため、精神疾患の場合は実際は労災であったとしても傷病手当金の形式的な要件(国保以外の健康保険に加入中であるか、退職した場合には退職直前に休んでおり、1年以上継続して健康保険の加入者であったことなど)さえ満たせば、傷病手当金は支給されます。そして、労災認定され、労災の休業補償給付が受給できた段階で、既に受け取っていた傷病手当金を返すというのが実務の進め方ということになります。
つまり、傷病手当金は労災であるなら健康保険組合に返還すべきお金であり、返してしまえば、当然手元にないため利得があるとはいえません。また、仮に返還していなかったとしても、傷病手当金相当額を返還する借金を負っている状況ですので、結局傷病手当金の支給額相当額を労働者が得をしているということにはなりませんので、会社は上乗せ補償の請求に対して傷病手当金を貰っているからその分は請求するなとは言えません。
また、労災は使用者が負っている賠償義務を確保するための機能を有していますが、傷病手当金はむしろ労災の場合は支給されないのですから、使用者の責任を支給額分免除する趣旨ではないことは明白です。
傷病手当金を受け取っているからといって,損害賠償請求が減額されてしまうことはありません。 業務上と認められた場合には健康保険組合に返還する義務は負いますが,会社に返すことはありませんし、損害賠償請求には影響を与えません。最判H26.3.24もこの点は明確に判示しています(当該判決の高裁の裁判官はなんでこんなあほな判断したのかよくわかりませんが、高裁は労働専門部ではないため素人なことが珍しくありません。労働事件は大都市だと専門部で審理されることが多いため地裁以上に高裁で変な判決が少なくないという傾向があります。)。
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このコラムの監修者
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増田崇法律事務所
増田 崇弁護士(第二東京弁護士会所属)
2010年に増田崇法律事務所を設立。労働事件の専門家の団体である労働弁護団や過労死弁護団等で研鑽を積み、時には講師等として労働事件の専門家を相手にして発表することもある。2019年の民事事件の新規受任事件に占める労働事件の割合は100%である。