安倍政権の政策目標の一つが、衰退産業から成長産業への労働者の移動です。

スローガン自体は間違っていないと思っています。

日本の高度経済成長は、生産性が低く、給料水準も低い、田舎の農林水産業から、都会の重工業に人材が移動していくことで、実現しました(オイルショック後の安定成長はハイテク産業やサービス業が成長セクターとして農林水産業などから人材が移動していきました。)。

高度経済成長期に大規模な労働者の移動が生じましたが、これは政策的に無理やり都会に追い出したというわけではありません(工業を支えるためのダム建設、石炭から石油へ効率的なエネルギーへの転換のために炭鉱の閉山などの例外はありますが、あくまで例外です。)。高い賃金に惹かれて主として若者が農村を捨てて都会に自主的に移動する一方で農村の両親が徐々に引退し廃業することで農林水産業の従事者は減少し、産業間の移動はなされました。

政府は無理やり追い出すようなことをしていないばかりか、むしろ農林水産業や田舎の自治体に多額の資金援助をし続けて下支えしていました。

生身の人間は従前慣れ親しみ、知識や経験を蓄積していた仕事を捨てて、知識も経験もない全く違う仕事をするなんて非現実的です。衰退する産業に従事している人の痛みをどう緩和していくかが政府の一般的な役割であり、程度問題はありますが、農林水産業の下支えは世界中で行われている基本に忠実な政策と言っていいでしょう(農林水産業への援助は、それ以外にも様々な意味があります。)。

さて、高度経済成長期と比較すれば、安倍政権のスローガンが嘘八百であることに気づかないでしょうか?

本当に生産性の高い産業であれば、高い給料を支払えるはずです。実際、農村の若者が都会の工場などに就職したのは農村にいるよりも高い給料がもらえるからです。労働者の退職を禁止することは憲法や労働法で認められていませんので(退職の自由がないということは、奴隷ということになってしまいます。)、好条件を示せば勝手に労働者は移動していきます。好条件を提示できるなら無理やり追い出す必要などないのです。

そして、政府の役割は先ほど書いたように、様々な事情から移れない人への痛みを緩和することです。しかし、安倍政権のやっていることは、長年の経験がいかせず賃金も低い仕事への移動であり、いわば地獄に無理やり突き落とすものであり全くベクトルが異なるのです。

無理やり追い出すようなことは、好待遇を提示できる本当の成長産業への移動であれば、行う必要などまったくないのです。

何が誤魔かしかと言えば、成長産業などというのがまやかしなのです。特に、介護が成長産業だなどと主張していますが、介護は自己負担で費用を払える層など限定されており、大多数のそれ程裕福ではない層は介護保険等の給付がどれだけなされるかによってサービスの量を変えているのであり、公的資金に依存したものにすぎません。現在の介護給付の金額は決して高いとは言えず、介護労働者はその業務負担や責任の重さを考えると低賃金といってよい状況です。このようなものを成長産業などと称揚するのが笑止千万であることは明らかです。

結局のところ、成長産業への労働移動のスローガンは、IT化などで余剰となった人材を切り捨て、労働者に一方的に痛みを押し付けて資本家層の利益を最大化を図るための方便に過ぎないのです。

本当に、衰退産業から成長産業への移動をさせたいなら、やるべきことは解雇規制の緩和などではありません。

普通、大きな資産を持たない労働者が、チャンスがあふれる成長産業に挑戦するといっても、仕事を辞めて長期間の研修を受け新たに技能を習得するなど困難です。新たな挑戦をしたい労働者に生活費用を長期間保障した上で職業訓練を行えるようにするなど、転身を応援する政策は必要です。しかし、日本の失業給付の期間は極めて短く、職業訓練も貧弱です。財界も雇用保険の負担が増すことになること、雇用保険の負担額が増えることや、失業給付が長期間支給されると劣悪な条件で再就職するよりは失業給付を受けようとなり、労働力を買いたたけなくなるため、消極的ですが、今やるべきことは明らかです。

 

このコラムの監修者

  • 増田 崇弁護士
  • 増田崇法律事務所

    増田 崇弁護士(第二東京弁護士会所属)

    2010年に増田崇法律事務所を設立。労働事件の専門家の団体である労働弁護団や過労死弁護団等で研鑽を積み、時には講師等として労働事件の専門家を相手にして発表することもある。2019年の民事事件の新規受任事件に占める労働事件の割合は100%である。