労災保険は業務上(通勤中も同様に補償されます。)の事故によるケガや過重労働や化学物質などへの暴露による病気などの業務災害についての損害(治療費、休業損害、後遺障害による逸失利益)を補償する保険であり,業務によって発症したのであれば,既に退職していても問題はありません。
ただし,時効の点には注意が必要です。休業補償給付の時効期間は2年間です。2年を経過してしまうと労災申請の日の2年より前の休業補償については時効で請求できなくなってしまいます。もっとも、全て消滅するわけではなく,直近2年間分は引き続き請求することができます。また、後遺障害に対する労災の補償は症状固定(これ以上治療しても回復が見込めないと確定した時点)から5年とされていますので、あまりに長期間経過していると請求できなくなりますので、注意が必要です。なお、療養給付(治療費の補償)は時効の起算点の関係で時効の問題は事実上生じません(健康保険を利用して治療を受けていた場合は、健康保険組合から医療機関に支払われた費用(通常7割分)を一旦健康保険組合に返納してから労基署に請求するという手続きとなりますが、返納時期が起算点となると解されている。)。
会社への上乗せ補償(労災認定されても労災保険では慰謝料は支給されませんし、休業補償も後遺障害の逸失利益も最低限の補償があるだけで、不足分は会社に対して損害賠償請求でき、それを上乗せ補償といいます。)については,退職していなければ,実際には働いていないけれども働けないのは会社の責任だから給料を支払えと請求できますが(給料債権)、退職してしまえば給料の請求は退職している以上給料債権という形では請求できなくなります。しかし,例えば、交通事故で雇用関係にない赤の他人の加害者に対して休業損害の損害賠償できるのと同様に、損害賠償という形であれば、業務上の事故や過重労働による病気やけがで働けず休業することになったことに対する補償(休業補償)は退職していたとしても働けない状態なのであれば変わらず発生しています。
また、入通院に対する慰謝料、治療を尽くしたが後遺障害が発生した場合の就労能力喪失状況に応じた逸失利益や後遺障害慰謝料は退職しても発生し続けます。働けた場合に獲得できた収入は発症の直前の時期の収入を基準に計算するのが一般的ですので,少なくとも判決になった際の結局はそれ程結論が変わるわけではありません。
ただし,退職しなければ,復職の道が残されていることになりますし,和解金をもらって退職するにしても,退職に同意してあげるというのは交渉の重要な切り札となりますので,自ら退職するのは慎重であるべきです。もっとも、退職しない場合は、従前の給料の金額に基づいた社会保険料を支払わなければならないというデメリットもありますし、特に精神疾患では気持ちの問題(早く縁を切りたい)も無視できないものではあります(補償の問題よりも治療の方が優先順位が高いのは当然です。)。
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このコラムの監修者
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増田崇法律事務所
増田 崇弁護士(第二東京弁護士会所属)
2010年に増田崇法律事務所を設立。労働事件の専門家の団体である労働弁護団や過労死弁護団等で研鑽を積み、時には講師等として労働事件の専門家を相手にして発表することもある。2019年の民事事件の新規受任事件に占める労働事件の割合は100%である。