1 はじめに

令和5年9月1日に新認定基準が改正されました。過労死弁護団では、有志で検討チームを組織し、改正に向けた専門検討会の傍聴及び適宜適正な改正となるよう意見書の発表を行ってきました。私も、検討チームの一員として意見書の作成などを担当しました。私は生存事案に特化しており、本記事にある症状固定による早期の打ち切りについて懸念を持っており注視を続けておりましたので、今回はその点に絞った解説記事を作成しました。なお、検討チームの座長を務められた岩井洋一先生も解説記事を作成されておりますので、そちらも是非ご参照ください。

また、症状固定に関する私及び検討チームの意見は専門検討会に提出した意見書(私が原案を担当しました。)の通りであり、うつ病をはじめとした非器質性精神疾患は基本的に治るまで休業補償を認めるべきとのものです。参考までに、末尾に全文引用しておきますので、ご覧いただければと思います。

なお改正前の認定基準に基づいた記事ですが、今までの経緯として、症状固定については以下も是非ご参照ください。

休業補償給付はいつまで支給されるのですか?
精神疾患について症状固定とされました。症状固定の判断もしくは等級認定に納得がいきません

2 発症について  

(1) 問題の所在

  問題は主として以下の2つ

①未受診の自殺事案で発病なしとの判断で業務外とされることがあること

②発病日が被災者の主張と異なる時期と認定され、決定的に体調が悪化する直前のエピソード(唯一客観的証拠が残っているパワハラ行為であることも少なくない。)が発病後になったり、発病6か月以上前で考慮対象外とされることである。

(2) 改正ポイント

   ①発病の有無について、新認定基準(2頁)に、特に目新しい記載はない。

   ②発症時期についても、新認定基準(2頁)に、大きな変更はない。ただし、自殺で発症は認められるが、発症時期が特定し難い場合に自殺時を発症時期とすること、解離等の心理的反応によって受診時期が遅れた場合は心理的反応が生じた時期を発病時期とする旨の記載が加わった。

  ただし、

   ③専門検討会報告書18頁で、通院歴がある場合について、既存の病気の「症状の表れに過ぎない場合」もあるが、悪化や別の精神障害を併発することもあるし、症状安定後の新たな発病の事もあるので、個別事案ごとに専門家による判断が必要との記載が明記された。そのため、通院歴があるような事案でも発症後の出来事で原則考慮されないとして、簡単に諦めないことが肝要となります。

3 症状固定・治癒 

(1) 問題の所在

   ①生存事案で就労不能であるにもかかわらず、うつ病の回復まで長期間要する実態を無視し、また後遺障害等級が原則年金の支給対象ではなく補償が不十分な状況で、早期に症状固定として休業補償が打ち切られるおそれがある。

   ②軽い症状により就労継続しながら治療中に悪化ないし再発し就労不能になった場合の扱い(当初の発症時点を基準に考慮した方が有利な場合もあれば、悪化ないし再発した時点を基準に考慮した方が有利な場合もあり、どちらが良いかはケースバイ)

(2) 厚労省の早期症状固定への改悪の動き

   ①について、専門検討会第10回「第10回における論点」で「職場復帰が可能とならない場合も含め、医学的知見を踏まえ、療養開始から1年6か月~3年経過した時点で、症状固定の有無等に係る医学的判断を求める必要があるのではないか。」と提言し、早期打ち切りへの動きを改めて見せた。   

 3 改正のポイント

 (1)早期の症状固定について

   結論として①については、大きな変化はないようです。

   新認定基準(9頁以下)では、寛かいに至らない場合でも「十分な治療を行ってもなお症状に改善の見込みがないと判断され、症状が固定しているときには」症状固定となることもありうるとしつつ、「その判断は、医学的意見を踏まえ慎重かつ適切に行う必要がある」「療養期間の目安を一概に示すことは困難である」(が大概2年以内に治る)と記載されている。

他方、旧認定基準でも「就労が可能な状態でなくとも治ゆ(症状固定)の状態もある」「療養期間の目安を一概に示すことは困難である」(が大概2年以内に治る)と記載されており、大きな変化はない。

また、精神障害の後遺障害等級の専門検討会報告書の要旨に記載されている「一定の就労が可能となる程度以上に症状がよくなるのが一般的であるので、原則としてその時期をもって治ゆとし、障害等級を判断するのが適当」という判断が破棄されたわけではない。

この点、第10回専門検討会で西岡補償課長は「治ゆ・症状固定に関する考え方について、より主治医などの皆様のご理解を深めるためにどのような事項を示すことが適当かということです(中略)現行の認定基準(中略)の趣旨を変えるものではありません」と述べ、中野委員は「定期的に医学的判断を求めること自体も適切だろうと思います。ただ(中略)労災保険給付の打ち切り時期を示すように受け取られてしまわないかということに、少し懸念を抱きました」、黒木座長も「これは打ち切ろうということではなく(中略)次につなぐことが目的」と述べているところであり、症状固定の基準自体の変更を意図するものではないようである。丸山委員も「治療が非常に長期化するという場合もあるので、それはきちんと補償していかなければいけない。」と述べている。

私は医学の専門家ではありませんが、治療やリハビリにある程度計画や目標を立てていくというのは必ずしも間違っているとは言えないように感じます。とはいえ、従前も長期化事案については、本人の体調不良を無視して主治医に症状固定の診断書を作成するよう執拗に要求した事案もあり、今後そのような対応が強まっていくと思われます。そこで、安易に症状固定とされないよう、症状固定の意味について、主治医や労働者本人の理解を深めることが必要であり、認定後のアフターフォローが重要となると思います。

(2)②について

   「一定期間、通院服薬を継続しているものの、症状がなく、又は安定していた状態で、通常の勤務を行っている状況にあって、その後の症状の変化が生じたものについては」新たな発病として扱うことが明記された。

   従前も、このような主張が認められることがあり(不眠で睡眠薬を頓服していただけでうつ病ではなかった等)、妥当である。逆に、当初の発症を基準とすべきとしたい場合もあろうが、その場合は個別の体調の推移を主張していくほかないであろうが、実際には波があることの方が多いのではなかろうか。

   なお、長期化に関しては、損害賠償の素因減額で争われることも多いであろうが、弁護団の意見書(22年2月16日付、第12回専門検討会の資料)は反論の参考になるものと思料する。 

4 症状固定に関する過労死弁護団検討チームの意見書

精神障害認定基準専門検討会に対する意見書

(治癒・症状固定について)

                   2023年(令和5年)2月16日

厚生労働大臣 加藤 勝信 殿

「精神障害の労災認定基準に関する専門検討会」担当

労働基準局補償課職業病認定対策室 室長 殿

過労死弁護団全国連絡会議

                           精神障害検討班

第1 はじめに

   専門検討会第10回資料1「第10回における論点」で、「長期療養者の増加は大きな課題であ」るとして、厚生労働省は「認定基準の検証に係る具体的な論点(たたき台)」(以下「たたき台」という。)「4 療養、治ゆ及び再発」「A2」において「職場復帰が可能とならない場合も含め、医学的知見を踏まえ、療養開始から1年6か月~3年経過した時点で、症状固定の有無等に係る医学的判断を求める必要があるのではないか。」と提言している。

   これは、「適切な治療が行えば、多くの場合概ね半年から1年、長くても2~3年の治療により完治するのが一般的」(平成15年の専門検討会報告書)という認識を前提に労災認定事案での長期療養事案の割合が顕著に高い(第10回専門検討会資料2)のが問題であり、このような療養の長期化の要因として疾病利得の影響なども考えられるため早期の休業補償の打ち切りをすべきという考えによるものと思われる。

   しかしながら、そもそもうつ病をはじめとした非器質性精神疾患は難治性の疾患である場合もあり、2~3年という比較的早期に寛かいに至るのは半分前後に過ぎないし、他方で2~3年を超えて療養した事案も決して寛かいしないわけではなく1年ごとに1割前後は寛かいし、10年前後療養を続ければ8割前後は一旦は寛かいに至るというのがうつ病の経過である。一方、労災認定事案の療養状況は、後述の通り労災認定されていない一般の事案の療養の経過と顕著に異なるものとも言えない。このようなうつ病の一般的な経過を考えれば数年程度の早期での症状固定は明らかに誤りである。厚生労働省の認定基準改定のたたき台の前提となる事実が誤っているし、労災認定事案が労災認定されていない事案と比べて、特別療養が長期化しているという事実はないのであり、認定基準を改定の前提となる事実が欠けている。

   なお、過労死弁護団全国連絡会議は2011年6月6日付で症状固定及び再発に関する意見書を提出しており、同意見書から特段の変更があるわけではなく、本書は同意見書の症状固定に関する記載を中心に補足するものである。なお、以下では非器質性精神疾患の中でも最も典型的な疾病であるうつ病を念頭に論じるが、必要に応じて他の病気についても触れる。

第2 本意見の骨子

   症状固定とは、「症状が残っていてもそれが安定して、もはや治療の効果が期待できず、療養の余地がなくなった場合」(昭和23年1月13日基災3号)である。この定義に沿って個別事案毎に治療経過や症状の推移に基づき判断するというのがおよそあらゆる労災による負傷及び疾病における症状固定の判断枠組みである。業務上の非器質性精神疾患の症状固定についても、この基本的枠組みを遵守すべきであり、非器質性精神疾患についてのみ、労災制度の基本的な枠組みを捻じ曲げて他の業務上の負傷や疾病と異なる扱い、すなわち一定の年数を区切って、病名、治療経過や症状の推移、主治医の治療の継続の必要性や今後の回復についての意見に関わらず、症状固定とする扱いは不適切である。

そして、前記の症状固定の定義及びうつ病をはじめとした非器質性精神疾患が難治性である場合もあり、長期間の療養後に回復に至る事例が多いという性質に鑑みれば療養期間の長期化はやむを得ないというべきである。

第3 理由

 1 うつ病は難治性である場合もあるから、2~3年で「もはや治療の効果が期待できず、療養の余地がなくなった」と言えないのは病気の性質上当然の事であり、療養期間が長引くのはやむを得ないこと

   この点たたき台では「一般的には(90%以上は)6か月から2年続くと考えられている、「2年以内に病状が安定する、3年以内に職場復帰可能」ことを改定の最大の根拠とするようであるが誤りである。うつ病は2~3年程度で回復するのは半分強、2~3年で回復せず遷延化したケースでも毎年1割程度が回復していくという経過を示すものである。このことは第10回専門検討会資料3、38頁上段のうつ病の慢性化の状況に関する調査(Venhoeven JE etal 2020)で「2年間の追跡で、患者の47%が慢性的な経過を示した」と記載されている通りであり、2~3年で回復するというのはせいぜい半分程度に過ぎない。

同様の研究結果その他にも多数あり、「予後良好と判断された症例は15~46%に過ぎず、最初のエピソードから一度も寛解に達しなかった者が8~15%あった」「入院した患者の症状の評価を10年間行い、年ごとに比較を行った結果、無症状レベルに達したものは1年目で25%であったが、2年目には50%へと増加し、その後は52%~61%と改善は寛所となった。また、10年の間に無償用レベルに達しなかったものが18%であった」「外来うつ病患者の3.5年間のフォローアップスタディでは、6か月以内に緩解したものが22%、1年以内は38%、2年以内は50%、3.5年では64%であった。」(木下玲子ら「うつ病の転機に関するエビデンス」EBMジャーナル№5,2004年62~65頁)、「10年間余り追跡調査したPaykelらの研究によると10年後の時点で(中略)うつ病が続いていたのは13%という結果が出されて」いる(加藤敏、「うつ病の寛解」精神科治療学23巻3号、2008年、331~340頁)。

   

2 労災事案がそれ以外の一般のうつ病患者と比べて特に遷延化しているとも言えないこと

他方で、労災認定を受けた非器質性精神疾患の予後については資料3の9で部分的に引用されている論文「精神疾患により長期療養する労働者の病状の的確な把握方法及び治癒にかかわる臨床研究」(以下、「平成28年研究」、「平成29年研究」という。)に記載されているが、平成28年研究31頁によると、平成28年時点で認定から1年経過した(そもそも、傷病手当金の受給期間内で回復しそうな被災者はわざわざ労災申請を行う必要に乏しいこと、発症から労災申請及び申請から業務上決定まで時間がかかるため、認定から1年というのは発症から3年程度と推測される)時点で治癒しているのは35.8%であり2年経過した平成26年は49.6%である。つまり認定後1年間経過時点で療養を継続していたとしても翌年までに21.6%のものが回復するということになる。その後についても毎年1割前後は回復していることが分かる(別紙2)。

一見、1で記載した「6か月以内に緩解したものが22%、1年以内は38%、2年以内は50%、3.5年では64%であった。」に比較すると回復率が低く見えなくもない。しかし、労災認定を得るまでに発症から申請までに1年、審査に1年程度かかるため少なくとも2年程度は経過している事案が大半と推測される上、発症後半年乃至1年程度で回復のめどが立つような事例では、そもそも精神疾患にり患しても労災申請を行わないのである。なぜなら、精神疾患の労災申請は認定率が3割ほどと決して高くないにもかかわらず多大な労力を要するし、運よく認定されたとしても傷病手当金が支給される期間については傷病手当金との差額はわずかであり療養が長期化しない限りわざわざ労災申請するメリットが乏しいし、その上短期間で回復しそうな場合は原職への復帰を希望する労働者が多いが労災申請により会社との関係を悪化させ復職が困難になるリスクまであるからである。そのため、1年程度の短期間で回復した事例はそもそも労災申請を行わないため労災認定者にはほとんど含まれていないのである。労災認定者は少なくとも1年程度の間に回復した事例(前記の研究結果で言えば1年以内に回復の38%)が母集団からほとんど外れていることを前提としてみると、労災認定者の経過は、一般のうつ病の患者との差は特にないのである。

なお、29年研究85頁では、30万円以下と以上の回復状況を比較して30万以上の多額の補償を受け取っているものについては長期化していると指摘している。しかしながら、30万円以下特に20万円以下しか補償を受け取っていない者は、部分的に就労可能な状態であり通院もしくは体調不良により欠勤したときのみ補償を受け取る比較的体調が良い者である(年齢階層別最低額の受給者でも30日間休業すれば20万弱になるのであるから、20万以下の大半は部分的に就労している者と推測される。)。そのような、部分的にしろ働けてる状況の者が多数含まれる30万円以下の者と、常時就労していない者が大半である30万円以上の者を比較しても無意味である。

 3 療養の長期化を訴因減額に際して斟酌することを否定した最高裁判例に反するし、労働者災害補償保険法12条の2の2に反すること

   心因性の疾患は一般に環境因と体質などの個体側要因が重なって発症するとされている。療養の長期化の要因として、仮に本人の個体側要因が影響している可能性は一つの要因であることは否定できないとしても、業務上のストレスがなければ発症しなかったし、発症しない以上遷延化することもないのであるから、本人の体質が影響して遷延化したとしても因果関係が断絶するとは法的には到底言えない。この点、平成23年11月8日付精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会報告書で業務外の事情が影響して発症した場合について「個体側要因によって発病したことが明らかな場合」「具体的には、業務による強い心理的負荷が認められる事案については、強度Ⅲに該当する業務以外の出来事のうち心理的負荷が極めて強いものがある場合や、強度Ⅲに該当する業務以外の出来事が複数ある場合等、業務以外の心理的負荷によって発病したことが医学的にみて明らかであると判断できる場合に限って、業務起因性を否定するのが適当である。」に限定されるとする。しかし、療養が長期化し個体要因が強くなったとして症状固定とするのであれば、同様に因果関係が断絶し、環境因を無視できる状況になったといえる程度の強い理由がなければならないが、そのような事情は、全く性質の異なる病気(例えば、うつ病で療養中に頭部外傷による脳機能の欠損で劇的に悪化した場合が考えられるであろうか?)を無関係に発症したといった事案くらいしか考えられない。

この点、損害の拡大に被害者の体質的な要因が影響した場合についてのリーディングケースとなる判例(最判平成8年10月29日民集第50巻9号2474頁)では「被害者が平均的な体格ないし通常の体質と異なる身体的特徴を有していたとしても、それが疾患に当たらない場合には、特段の事情の存しない限り、被害者の右身体的特徴を損害賠償の額を定めるに当たり斟酌することはできないと解すべきである。けだし、人の体格ないし体質は、すべての人が均一同質なものということはできないものであり、極端な肥満など通常人の平均値から著しくかけ離れた身体的特徴を有する者が、転倒などにより重大な傷害を被りかねないことから日常生活において通常人に比べてより慎重な行動をとることが求められるような場合は格別、その程度に至らない身体的特徴は、個々人の個体差の範囲として当然にその存在が予定されているものというべきだからである」。この理は精神疾患にも妥当し、業務上発症したうつ病による損害の上乗せ補償を求めた東芝うつ病事件で「9年を超えて、なお寛解に至らないという事態を併せ考慮すると、本件鬱病の発病及びその後の寛解に至らない状態については、本件鬱病の発病につき業務起因性の認定を妨げるほどに重いものではないが、業務外にも発病を促進した因子又は寛解を妨げる因子が存在するという個体側の脆弱性が存在したものと推認せざるを得ない。」と判示し2割の訴因減額を認めた控訴審判決(東京高判平成23年2月23日)を最高裁(最二判平成26年3月24日民集246号89頁)は「上告人は,それ以前は入社以来長年にわたり特段の支障なく勤務を継続していたものであり,また,上記の業務を離れた後もその業務起因性や損害賠償責任等が争われて複数の争訟等が長期にわたり続いたため,その対応に心理的な負担を負い,争訟等の帰すうへの不安等を抱えていたことがうかがわれる。これらの諸事情に鑑みれば,原審が摘示する前記3(2)の各事情をもってしてもなお,上告人について,同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるぜい弱性などの特性等を有していたことをうかがわせるに足りる事情があるということはできない」と療養が長期化していることを原因としたわずか2割の素因減額すら最高裁は否定しているところである。

ましてや、労働者災害補償保険法は被害者の過失の有無にかかわらず、全額支給するのが原則とされ、労働者災害補償保険法12条2の2第2項「正当な理由がなくて療養に関する指示に従わないことにより(中略)負傷、疾病若しくは障害の程度を増進させ、若しくはその回復を妨げたときは、政府は、保険給付の全部又は一部を行わないことができる。」としている。これは、労災保険が労働者に最低限の補償を迅速に行うため、労働者の過失の有無を問わずに行うというものだからである。因果関係が完全に断絶したと言えるような場合はともかく、単に遷延化に体質が影響したに過ぎない場合は斟酌しないというのが労災保険法の立場である。とりわけ、前記の通り、うつ病は難治性の疾患である場合もあり、遷延化するのは全く珍しくないことであるし、遷延化の体質的要因を持っているのは通常想定される労働者の範囲内を外れるとは到底言えないことを併せ考えると、遷延化を理由に休業補償を打ち切るのは法的に到底許容されない。

4 症状固定は十分な治療が行われたが改善が見込めないことが前提であるが、そのような判断は治療期間で一律な期限を区切るような判断になじまないこと

(1)たたき台で産業医の「期間が3年(中略)続いたときには症状固定と判断すべきとした医師が89%に上る」としていることを根拠としているが、当該質問では前提として「臨床上『医学上一般に認められた医療』がすべて行われたにもかかわらず」改善しなかった場合についての質問であることを明記しているものの、十分な治療が行われたと言えないことの方が多いこと

うつ病ガイドラインでは、抗うつ薬の十分量の大うつ病のガイドラインP35、P39では、「抗うつ薬は単剤で使用し、多剤併用は行わないことを基本とする。第一選択薬を十分量・十分期間使用し、用量不足や観察期間不足による見かけの難治例を防止する。」こととされており、これは「実臨床では、健康保険で認められた最高用量まで増量後に完全寛解にいたることはしばしば経験する」からである。ところが、(損害賠償請求訴訟において長期化による訴因減額などが使用者から主張されて)協力医に意見を求めると、抗うつ薬の処方量が不十分であるとの指摘を受けることが多い。また、ガイドラインで避けるべきと明記されている抗不安薬の複数投与が認められることも珍しいことではない。「臨床上『医学上一般に認められた医療』がすべて行われた」といえる事案はむしろ少数である。

当然ながら、このような事情は医学の素人である本人には帰責性はないのであり、法12条の2の2第2項に照らせば減額や打ち切りは許されないのは明らかである。

  

 (2)遷延化したうつ病の相当数は双極性障害であると推測されているが、うつ病と双極性障害の鑑別は極めて困難であり、2~3年で両者を鑑別し適切な治療を行うのは容易ではないこと

    大うつ病のガイドラインに記載されているように「双極性障害の抑うつエピソード(以下、双極性うつ病)に対して、不用意な抗うつ薬の投与によって、躁転(Mitchell et al, 2008)や、頻回に各種の病相を呈する急速交代化(Schneck et al, 2008)など、気分・行動・思考の不安定さが増強され、経過が複雑化するリスクがある。その結果、自殺企図・自傷行為を含め、行動面の問題が生じ得る(大うつ病ガイドラインP17)」とされており、気分安定薬を併用しない抗うつ薬の使用は推奨されていない。

    ところが、双極性障害の病相の大半はうつ状態であり、双極性障害のうつ状態は症候学的にはうつ病との区別が困難であること、「軽躁状態を、患者は『調子の良い状態」と捉え、その既往を自覚できていないことが多いため、うつ病と双極性障害の鑑別は極めて困難である。そのため、初診から双極性障害と診断されるまでの平均年数が8.9年と報告する文献(Ghaemi et al, 2000)もあるくらいである。

    そのため、うつ状態の患者を双極性障害と正確に診断し、適切な治療を十分な期間行うためには、2~3年という期間では全く不十分であることは明らかである。

    なお、双極性障害は遺伝的要因がうつ病よりも強いことは指摘されているが、程度の差に過ぎず(一卵性双生児の比較試験等を参照のこと)、環境因が重要でないということではないし、双極性障害も労災の対象疾病とする一方で、適切な治療も受けられていないどころが有害な治療を受けていたにもかかわらず、症状固定として打ち切るのは

(3)ケーススタディ

   たたき台で紹介されている控訴審係属中の事案(水戸地判令和3年10月7日)の概要は別紙1のとおりである。このような双極性障害との(結果的には)誤診が絡むことや、多剤併用や不十分な治療の事例は特段珍しくないが、このような個別の事情は一律な判断になじまないことは明らかである。

以上

 

(別紙1)

水戸地判令和3年10月7日事件の概要

1 事案の概要

  被災者は平成20年うつ病を発症したとして、平成21年に労災申請、その後、業務外決定を経て、平成24年に自庁取消しにより業務上決定。その後、病状は一進一退の状況が続き、一度も復職しないまま、平成31年3月末に、症状固定で同年4月1日以降休業補償の不支給決定を行う。

  被災者は令和元年9月に現在の主治医に転移し、現在の主治医が病状を再度見直したところ、双極性障害の可能性が高いとして、気分安定薬を処方したところ、体調が大幅に改善し、これまで参加できなかったリハビリに継続的に参加できるところまでは回復したが、就労はできない状況が続いている。

2 地裁での被災者と国の主張

  • 被災者の主張の要旨
    • 症状固定とされた平成31年3月ころは、体調が極度に悪化し、運転免許証の停止処分を受けるなどしていたほどであり、体調は全く安定していなかった。
    • 現在の主治医に転院後、双極性障害と病名が変更され、投薬治療の内容を変更した。その結果大幅に体調が改善しリハビリに参加できるようになったのであるから、それ以前の治療は十分な治療とは言えない。
  • 国の主張および判決の要旨
    • は仮に症状の悪化が認められるとしても、うつ病の症状としてよくある体調の波の範囲内である。
    • については、

ア 双極性障害であるとのカルテの根拠がない。

イ 仮に双極性障害であったとしても、抑うつ症状が主たる症状であり、うつ状態に対する治療であることには変わりなく、本人も効果を感じる旨カルテに記載されており「診断名の違いが殊更重視されるべきでない」。

ウ 現在の主治医に変更後に体調の改善があったとしても、それは投薬内容の変化によるものではなく、前勤務先と決別するよう指導した効果であり、治療の効果によるものではない。

→地裁段階では原告は本人訴訟であることもあり、(2)の主張に対する再反論はされておらず、地裁判決は国の主張に沿った判示をして、症状固定を認めた。

(3)控訴審における主治医の意見書の要旨

 ア 国の主張に対する再反論

②ア(双極性障害の根拠について)あらためて聞き取りをした結果双極性障害と診断したが、前医のカルテにも「子細な情報を延々話す」など双極性障害を示唆する記載があり、現在の主治医に対してもビジネスのアイディアが次々湧いてくる旨述べたり、ディケアのカルテにも本題とは無関係な話を繰り返し話すとの記載がある。さらに、前勤務先とのトラブルは自らに特にメリットがないばかりか、自らが責任を問われかねないものであり、国も「特異とも思える」と準備書面で評価しているように病的な好訴性が認められる。

②イ(抑うつ症状に対する治療であるからうつ病と双極性障害の病名の違いは重視されるべきではない)明らかに医学的常識に反する。双極性障害に対する抗うつ薬単剤使用が悪化させる危険があり推奨されないことはガイドラインにも明記されている。

②ウ(投薬内容の変更ではなく、生活指導によるもので治療の効果ではない)生活指導は精神科臨床の極めて重要な手段であり、治療ではないというのは医学的常識に反する。

 イ その他の指摘

  ① 仮にうつ病だったとしても十分な治療がされていない

    抗うつ薬としてはパキシル10mgに留まっており、それ以外にはレキソタン、デパス、ソラナックスとベンゾジアゼピン系の抗不安薬が複数処方されているが、パキシルの最大用量は40mgであり不十分であるし、ガイドラインで避けるべきとされている抗不安薬の複数投与がされている。その後。その後、ルボックス50mgが処方されているがこれも最大容量が150mgであり、うつ病としても不十分な地量子化されていない。

  ② 長年双極性障害が看過され適切な治療が受けられていない被災者の経過は特異なものではない

    双極性障害とうつ病の鑑別は容易ではなく、初診から双極性障害の診断に至るまでの平均期間がおよそ9年であることを考えると、10年以上うつ病として治療されていた患者の診断が転医を機に双極性障害に改められ、主剤の変更によって快方に向かうことは、十分に起こり得る治療経過であり、被災者の経過は特異なものではないのであり、遷延化したからといって回復可能性がないとはならない。

        

 

このコラムの監修者

  • 増田 崇弁護士
  • 増田崇法律事務所

    増田 崇弁護士(第二東京弁護士会所属)

    2010年に増田崇法律事務所を設立。労働事件の専門家の団体である労働弁護団や過労死弁護団等で研鑽を積み、時には講師等として労働事件の専門家を相手にして発表することもある。2019年の民事事件の新規受任事件に占める労働事件の割合は100%である。